7月の活動状況
平成30年(2018)








幹部会 向島防犯協会視察研修 社会を明るくする運動地域集会(中止)
夏休みラジオ体操会 八広地域プラザ地区防災拠点会議
参議院議員選挙立ち合い 社会を明るくする運動中央集会
リサイクル活動は(平成21年4月より)第2・第4木曜日
防犯パトロールは(平成23年4月より)第1・第3水曜日に実施
みまもり活動は(平成24年4月より)月1回火曜日に実施









半夏生(はんげしょう)
 7月2日ごろ(2019年は7月2日)。太陽黄径100度。夏至から数えて11日目。
 梅雨の末期で、半夏(烏柄杓<カラスビシャク>)という毒草が生える多湿で不順な頃とされてい
ます。農家の人達はこの日までに田植えを済ませ、どんなに気候不順な年でもこの後は田植えをし
ないという習慣がありました。地方によっては、ハンゲという妖怪が徘徊するという言い伝えがあり
、この時期に農作業をしないようにという戒めになっているようです。半夏生までに田植えを済ませ
た農家では、この日の天候で稲作のできを占います。
 半夏生は、この植物にちなんで名付けられたとされています。
 ※ 烏柄杓(カラスビシャク)は毒草ですが、生薬としても用いられています。

 香川では田植えや麦刈りの労をねぎらい、うどんをふるまうならわしがあったそうです。関西では、
タコを食べる習慣があります。

那智の扇祭り
 7月14日。和歌山県府京都市。熊野那智大社。
 「那智の火祭り」の名で親しまれています。日本三大火祭(道祖神祭り、鞍馬の火祭、那智の火
祭り)の1つ。 ※諸説あります。平成27年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
熊野那智大社に祀られている神々は、元々滝本で祀られていました。それらの神々を年に1度滝
本への里帰りをする神事。12体の神々を那智の滝の姿を表した高さ約6メートルの扇神輿に遷し、
熊野那智大社から那智の滝(飛瀧神社)に渡御します。
 御滝に向かう参道では重さ約50~60キロの大松明12本で迎え、その炎で清める御火行事が
行われます。

海の日
 1996年7月20日制定。今は第3月曜日。
 海の日は、平成7年(1995)に制定され、平成8年(1996)から施行された日本の国民の祝日
の一つである。制定当初は7月20日だった。平成15年(2003)の祝日法改正(ハッピーマンデー
制度)により、7月の第3月曜日となった。
 国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条では、「海の恩恵
に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。国土交通省によると、「世界
の国々の中で『海の日』を国民の祝日としている国は唯一日本だけ」という。
 平成19年(2007)に制定された海洋基本法第13条は「国及び地方公共団体は、国民の祝日
に関する法律(昭和23年法律第178号)第2条に規定する海の日において、国民の間に広く海洋
についての理解と関心を深めるような行事が実施されるよう努めなければならない」と海の日の行
事について定めている。
 海の日とは、元々「海の記念日」という民間での記念日でした。明治天皇は明治9年、東北地方
を御巡幸(天皇が各地を回られること)されたのち「明治丸」という船にご乗船し、7月20日横浜港
に無事ご帰着されました。それを祝ったものが「海の記念日」なのです。
 それまでにも軍艦による御巡幸はあったのですが、天皇が軍艦以外の船にご乗船されたのはこ
の時が初めてでした。この際に海は大変に荒れて、船も非常に揺れたらしいのですが、船酔いす
る者が続出する中、明治天皇はまるで何事も無いように始終泰然としておられたそうです。
 その明治天皇のお姿に、当時まだ船による航行に不安を感じていた一般国民も、その安全性に
大きな信頼を寄せるようになり、それ以降、海運と船旅の利用が一気に増えました。そこにはまさ
に「海洋国家日本の夜明け」と言っていいほどの大きな歴史的意義があったのです。そこで昭和1
6年、この日を記念し「海の記念日」が作られました。
 ちなみにこの明治丸ですが、灯台の点検等を行なう灯台視察船として明治政府がイギリスに発注
したもので、現在は重要文化財に指定され、東京海洋大学に保存されています。そしてこの美しい
帆船に「明治丸」と名付けたのは、初代の内閣総理大臣であった伊藤博文でした。









神社仏閣で見かけたポスター