2月の活動状況
令和2年(2020)








幹部会 三輪里稲荷神社節分祭 23区墨田清掃工場運営協議会
三輪里稲荷神社初午祭 八広三和里町会創立70周年記念祝賀会
春の火災予防運動説明会
リサイクル活動は(平成21年4月より)第2・第4木曜日
防犯パトロールは(平成23年4月より)第1・第3水曜日に実施
みまもり活動は(平成24年4月より)月1回火曜日に実施









建国記念の日
 2月11日は「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966年に「建国記念の日」に定められました。
※建国を記念する日
神武天皇が即位した日を日本の建国された日として祝うこと(紀元節〔きげんせつ〕)は、戦後占領軍の意向で
祝日ではなくなりました。しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記
念するための祝日を設けることとなりました。その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正されました。そして、1
966年に国民の祝日に認められ、翌年から適用されました。
「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そ
のものを記念する日だからだと言います。
※紀元節から記念日へ
 日本の起源を祝日にしようという動きは、明治時代、神武天皇(初代天皇)即位の初日を日本の紀元(歴史が始
まる最初の日)としたことから始まります。この、日本の紀元の日を「紀元節」といいます。紀元節は全国の神社
で「紀元節祭」と呼ばれ祭事が催されていたほか、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていました。しか
し戦後になり「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるの
ではないか」というGHQの意向で、紀元節は廃止されました。しかしその後テレビ局が行ったアンケート調査によ
り、全国民の80%以上の人が「建国を記念する日」を望んでいるということがわかりました。その結果、1966年
になり建国記念の日に関する提案が承認され、翌年1967年から適用されることとなりました。建国記念の日が
成立するまでには「日本の正確な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」など専門家による多
くの議論があったようです。
※建国は神話の中に
 建国記念の日は特別な行事は特にありません。ですので、この休日に日本の歴史を勉強してみることも面白い
かもしれません。日本書記では、日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、初代天皇になった神武天
皇であると書かれています。イワレビノミコト(神武天皇?)は、現在の建国記念の日にあたる、辛酉元旦(現在の
暦に直すと紀元前660年2月11日)に、大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされ、そこから2月11日を「建
国記念の日」に定めたという説もあります。しかし、歴史学上では神武天皇は実在の人物ではなく「神話」として
位置づけられているようです。

俳句
 俳句とは、五・七・五の三句十七音から成る、日本独自の定型詩の事を指し,「季語」と呼ばれる季節を表す言
葉を含まなければならないというルールがあります。「俳諧〔はいかい〕の句」という言葉が略されて、「俳句」と呼
ばれるようになりました。
※必ず用いらなければならない季語
 俳句は、和歌の上の句(五・七・五)と下の句(七・七)を別々の人が交互に作る連歌〔れんが〕の上の句だけが
独立してできました。 江戸時代に松尾芭蕉が「俳諧の句」として確立させ、大流行しました。
 俳句は三句十七音という限られた文字数の中で、自然の美しさや人の心情を表現しなければななりません。そ
こで、季語を入れる事によって、作者の意図する情景をわかりやすく表現する事ができます。季語とは、その言
葉が入るだけで、誰もがその季節を思い浮かべられる言葉の事を言います。
※江戸時代に確立
 「俳句」という言葉は、今からおよそ100年前、正岡子規〔まさおかしき〕を中心としたグループによって使われ
るようになりました。
 俳句は江戸時代には俳諧と呼ばれていました。この俳諧という言葉は、もとは「こっけい」・「おもしろ味」といっ
た意味で、室町時代から江戸時代にかけてさかんに作られた連歌で使われていたものです。連歌はもともとは、
優雅な美の世界をめざすものでしたが、やがて本来の道からそれ、こっけいな言葉の遊びとなりました。次第に、
連歌の上の句(五・七・五)が独立して鑑賞されるようになり、今の「俳句」のもとになりました。この独立したかた
ちのものを、「俳諧の句」と呼びます。江戸時代には「奥の細道」の作者で有名な松尾芭蕉などが活躍し、広く庶
民にも俳諧の文化が流行しました。その後、明治維新後に登場した正岡子規が、この古くからの詩のかたちを、
新しい詩としてよみがえらせようと考え、「俳句」という名前をつけました。そして今なお、その形態が継承されて
います。
※限られた少ない字数の中で最大の表現を
 三句十七音という限られた字数の中で作者の意図を最大限に表現為に様々な表現技法が用いられます。
☆切れ字
 「かな」・「けり」・「や」などを用いて、句の表現が完結し独立するために、句中または句末で特別に切れる働き
をする字(語)を指します。必要最小限の言葉で表現する為に、切れ字を用いて、その言葉以上の意味を含める
事ができます。
 〇古池や 蛙飛びこむ 水の音 (松尾芭蕉)
 〇流れ行く 大根の葉の 早さかな (高浜虚子)

☆省略
 字数が限られている為、体言止めを用いて動詞や助詞を省略したりする事を指します。不用な言葉を省略する
ことによって、リズムや余韻が生まれます。
 〇閑さや 岩にしみいる 蝉の声 (松尾芭蕉)
☆本歌取り
 和歌・連歌などで、古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法です。

上座と下座 
 部屋の中で目上の人や客人が座る席を上座、目下の人やもてなす側が座る席を下座といいます。特にビジネ
スの世界ではこの席次が重んじられます。「かみざ」「しもざ」又は「じょうざ」「げざ」とも呼ばれます。
※床の間と出入り口を基準に
 一般に、和室では床の間や床脇棚〔とこわきだな〕に近い席が上座、部屋の出入り口に近い席が下座となりま
す。床の間がない部屋では出入り口から遠い席が上座、近い席が下座となります。また洋室では、暖炉や暖炉
の飾り棚があれば、そちらに近い席が上座となります。出入り口から遠い位置にソファー(2人以上がゆったり座
れるもの;1人掛けはアームチェア)がある場合もそれが上座です。ソファーが上座になるのは、「2人分のスペー
スがある広いソファーに1人で座ってもらい、よりくつろいでもらいたい」という大切な客人や年配者などへの配慮
が込められています。また出入り口に近い方が下座なのは、出入りが頻繁にあると落ち着かない気分になるた
め、大事な人を座らせるわけにはいかないからです。
※床の間の近くが上座である理由
 なぜ床の間の近くが上座になったのでしょうか。それは床の間の歴史をみるとわかります。床の間は書院造り
の特徴です。書院造りは、室町時代にそれまでの寝殿造りにとって代わり普及しました。寺の僧侶が経典などを
勉強する部屋を原型とし、それが武士の家に取り入れられました。床の間は床より一段高くされ、そこには三具
足〔みつぐそく〕(仏前に供える香炉・花瓶〔けびょう〕・燭台)を置き、仏画を掛けました。床の間は仏画をかける
神聖な場所であったため、部屋の一番奥の出入り口から遠い落ち着いた場所に造られました。その神聖で落ち
着く場所に身分の高い大事な人に座ってもらうのは、自然な流れだといえるかもしれません。
※状況に合わせて
 上座であっても冷暖房の風が直接当たる、また直射日光が当たる、逆光で目上の人が心地よく過ごせない等
の場合があります。上座がそのような悪環境におかれている場合には、無理に上座に座ってもらう必要はありま
せん。また外の景色がよく眺められる席が上座以外の席にあれば、そちらを勧めると良いでしょう。出入り口の
位置や光の具合、眺めの良い場所などその時々の状況に合わせて席を勧めるのが、本当に相手を気遣ったお
もてなしといえます。