文化の日
祝日は、国民こぞって何かを祝い、感謝し、または記念する日だ。単なる休日ではない以上、その
祝日の意味合いや来歴は知っておきたいものである。昭和23年施行の祝日法は「自由と平和を愛
し、文化をすすめる」と位置付けている。現憲法が公布されたことを踏まえたものだが、憲法記念日
は施行日に当たる5月3日が選ばれた。
今では11月3日を中心に、全国でさまざまな文化行事が行われている。美術館や博物館などへ
足を運ぶ人も多かろう。文化の日となる以前の11月3日は「明治節(せつ)」という祝日だった。文明
開化の時代を治めた明治天皇の誕生日である。在世中の「天長(てんちょう)節」(今の天皇誕生日)
だけでなく、国民の請願運動を受けて昭和2年には明治節に定められた。
明治維新後の日本の祝祭日は皇室や神道を踏まえ定められていた。戦後、日本を占領した連合
国軍総司令部(GHQ)はそれを嫌い、改廃を勧告した。日本が主権を失っていた中で祝日法が制定
され、祝うべき日の名称が変えられたのである。明治節は文化の日となり、もともとの意味は失われ
てしまった。明治の日本人は、迫り来る欧米列強の外圧に耐え、国力をつけて独立を守りきったので
ある。明治節は、日本を団結に導いた明治天皇をしのぶ日であったのはもちろんのこと、西洋に追い
つこうと懸命に努めた多くの先人を思う日だったといえよう。明治節を経験していない世代のほうが
圧倒的に多くなっている。
それでも、占領によって変えられたものの見方だけに日本人が縛られていていいはずがない。11
月3日を「明治の日」に改めようとする動きが、民間や国会議員の間にある。昭和天皇の誕生日は変
遷を経て「昭和の日」となり、昭和という激動の時代を振り返る祝日として位置づけられた。文化を振
興する祝日はあったほうがよいが、「明治の日」も実現させたいものである。
木枯らし・凩
晩秋から初冬にかけて吹く、冷たくやや強い風。気象的には、10月半ばから11月末にかけて西高
東低の冬型の気圧配置の時、最大風速8m/秒以上の西北西から北向きの風のことをいいます。「
凩」という文字には、風が吹くたび葉が落ちるため、木を枯らしてしまう風という意味があります。
紅葉狩り
紅葉を鑑賞する習慣は、奈良時代から始まったといわれ、「万葉集」にも登場しています。平安時
代の頃に貴族の間で広まり、紅葉を愛でながら宴を開いていたようで、その様子は「源氏物語」にも
描かれています。その後、江戸時代には庶民も楽しむようになり、季節の行事として定着していきま
した。
紅葉を鑑賞するのに「紅葉狩り」というのはどうしてでしょう。「狩る」とは獣を捕まえるということです
が、花や草木を探し求めるという意味もあるそうで、果物を採る場合にも使われます。「いちご狩り」や
「ぶどう狩り」って言いますよね。
採集するわけでもなく、紅葉を鑑賞するのに「紅葉狩り」というのは、狩猟を好まない貴族が自然を
鑑賞するすることを狩りに例えたといわれていますが、定かではありません。春の桜は「花見」といい
桜狩りとは言いませんよね。やはり狩猟のシーズンの秋だから「狩り」という言葉を用いたのでしょう
か。また、元々は紅葉を集めて楽しんでいたのが、眺めることに変わっていったという説もあります。
小春日和
小春は、陰暦10月の別称で、小(こ)六月ともいう。太陽暦ではほぼ11月から12月上旬に相当す
る時期である。そのころの穏やかな好天が小春日和で、日なたは暖かいが、日陰はひんやりしてお
り、夜は冷え込む。低気圧が平地に雨、高山に雪を降らせて日本の東に抜けたあと、大陸から高気
圧が張り出して、気圧配置は西高東低型となり冷たい北風が強めに吹くが、翌日は大陸高気圧は
移動性となり、風は弱まって小春日和となる。季節が進むと、暖かい好天は「冬暖(ふゆあたたか)」
「冬日和」などとよばれる。
インディアン・サマー
北アメリカで、中秋から晩秋にかけて異常に温暖な日が続くことがあるが、この期間のことをいう。
一般によく晴れた天気であるが、煙霧のかかったような状態で夜間はかなり冷え込むような天候であ
る。インディアン・サマーになる前に顕著な霜が降りるような低温の日があると、インディアン・サマー
はことさら目だって感じられる。日本の小春日和(こはるびより)に相当するが、ヨーロッパでは「老婦
人の夏」old wives summerとか、「カワセミの日」halcyon daysという。イギリスでは聖者の名前をとっ
て「聖マルチンの夏」St. Martin summerあるいは「聖リュークの夏」St. Luke summerとよばれること
がある。
秋刀魚(さんま)
サンマはダツ目サンマ科に分類される回遊魚で、名前の由来には諸説あり、細長い魚という意味
の「サマナ(狭真魚〉」が訛ったものとする説や、大きな群れを成す魚という意味の「サワンマ(沢魚)」
が起源とする説などがある。
また、和歌山県や三重県に渡る紀伊半島辺りでは古くからサンマを「サイラ(佐伊羅魚)」と呼んで
おり、この名称がコロラビス・サイラという学名に使用されている。現在ではサンマ=「秋刀魚」という
呼び名や漢字表記が全国的に広く使われ定着している。これは秋に獲れる銀色に光る刀のような魚
という意味から。
サンマはオホーツク海から北太平洋、日本海、東シナ海に及ぶ広い海域を回遊する魚で、回遊パ
ターンによっていくつかの系統に分けられるとされ、日本の近海では、太平洋沿岸、日本海沿岸共に
南の暖かい海域で孵化した稚魚が成長しながら北上し、秋には産卵に向けて南下する。寿命は2年
程とされ、毎年この回遊に加わる。サンマは海面近くの表層を大きな群れを作り、アミエビなどの小さ
な甲殻類やプランクトンなどを捕食し生息しているが、胃は無く、短い腸の中で30分程という短時間
で消化、排泄してしまう。サンマの塩焼きで腹ワタごと食べられるのはこれも理由の一つだ。
店頭に並んでいるサンマにはウロコがほとんど無くつるっとした状態なのでサンマにはもともとウロ
コが無いと思っている人もいるのではないだろうか。これはサンマも生きて泳いでいるときには細かく
綺麗なウロコに覆われているが、サンマのウロコは薄くとてもはがれやすく、サンマの漁獲はそのほと
んどが棒受け網漁や刺し網漁なので、漁獲されるとき、網の中で大量のサンマ同士がこすれあうこと
でウロコがほとんどはがれ落ちてしまうからだ。また、塩焼きなどでワタを食べた時に、腹の中からウ
ロコが沢山出てくることがある。これは漁獲される際にはがれたウロコを自ら飲み込んでしまうからで
ある。
サンマは大きいもので40cm程の魚で、体はやや側扁した細長い形をしている。口はサヨリなどと
同じように先が尖ったくちばしのような形状で、下あごの方が少し長く突き出ている。背ビレと腹ビレ
はかなり体の後方に付いており、いずれの後ろにも尾の付け根まで小離鰭(ショウリキ)が並んでい
る。体色は背が青黒く腹は銀白色。下あごの先が黄色い。体側のやや上部に胸ビレから尾にかけて
まっすぐに線が走っているように見えるが、これは側線ではなく、側線は腹の縁近く、底面の両側に
ある。
日本で獲れるサンマの半分以上が北海道で水揚げされているのがわかる。次いで宮城県福島県
や岩手県など太平洋沿岸で、国内産の大半が太平洋側で獲れている。サンマの漁獲量は近年不漁
が続き、毎年のように高騰している。
サンマの漁期と漁場は、日本近海の主な漁場は北海道根室沖から三陸沖を経て銚子沖の太平洋
沿岸で、サンマがオホーツク海にいる7月中旬から漁が始まる。最盛期はサンマが根室から襟裳岬
沖辺りに南下し始める9月から11月にかけてで、それ以降は三陸沖から銚子沖へと漁場も南下する
。ただ、原発事故以来、それよりも南では獲らなくなったようだ。
サンマの食べ頃の旬は、サンマは言うまでもなく秋を代表する魚だ。脂がのっていて美味しいのは
北の海から三陸沖辺りまで南下してくる秋から晩秋にかけて。漁が始まって間がない夏のさんまは
脂ののりが少なく、塩焼き向きではない。ちなみに、8月北海道根室沖で操業が開始される頃のさん
まの脂肪は約10%、10~11月の終漁期となる三陸沖で20%くらいになり、産卵後は5%と激減し
ているそうだ。 |