◎母の日・起源と歴史
アンは、1850年代に女性による社会活動をしていて、「Mother’s Day Work Club」を組織していました。
1861年~1865年の南北戦争の最中には、敵味方関係なく南北両方の負傷兵を熱心に看護していたの
だそう。戦争終了跡も「Mother’s Friendship Day」と題して、これまで敵どうしただった者同士を結びつけ
る平和活動を開催。
1905年にアンが亡くなると、母親を敬愛していた娘のアンナが亡き母を偲び、1907年の5月12日に、
アン(母親)が日曜学校の教師をしていたとされている教会で記念会(追悼式)を開き、白のカーネーション
を捧げた事が母の日の起源とされています。
この時期を境に、アンナは「母の日」制定のための活動を本格化し、1914年にアメリカ連邦議会にて、
5月の第2日曜日を「母の日」として正式に制定し、以後、広まっていったというわけ。
アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡しました。 白いカーネーションが
母の日のシンボルとなり、 アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。 こ
れをきっかけに、全米に母に感謝する動きが広まりました。
1914年、当時のアメリカ大統領ウィルソンがアメリカ合衆国議会を通して、 アンナの母が亡くなったの
が5月9日(第2日曜日)だったことから、この日に定めました。 以後、母の日には、母親が元気な場合は
赤いカーネーションを、 亡くなっている場合は白いカーネーションを胸に飾るようになり、 やがてプレゼント
としてカーネーションを贈る風習へとつながっていきました。
アメリカで「母の日」が決まった後、世界各国に広まっていく事になるのですが、日本にその習慣がやっ
てきたのは、アメリカで制定されてから20年近くも後の話。
1937年になって、森永製菓が「母の日」についてのエピソードや告知を全国展開したのが最初と言わ
れています。日本における母の日も、本場のアメリカにならって5月第2日曜日とされました。
アンナにとっては、母の日は、自分の言えに帰って母親と一緒に過ごし、感謝をするための日。 商業
的な活動がイヤだった、アンナからしたら不本意だったのかもしれませんが、商業的な意味合いもありつ
つも、「年に1回は母親に感謝しよう!」という風習が出来たのも事実。
もし、「母の日のプレゼントはどうしよう?」と悩んでいる時には、いちど 制定したアンナの気持ちや原点
に立ち返って、「ちゃんと気持ちは伝わるか?」を軸に、商売的な風潮に惑わされずに、「何が一番ベスト
なのか?」を振り返って気持ちを表現できると良いですね。
かれこれ70年の歴史がある母の日。赤いカーネーションとともに「お母さんありがとう」というメッセージ
を贈るのが定番になっていますが、これって赤い色じゃなきゃだめなの?って思いませんか?
そもそもなぜカーネーションになったのかというと、母の日の発案者アンナ・ジャーヴィスが、亡き母が好
きだった白いカーネーションを母の追悼式で配ったのが始まりと言われています。 このことから、亡くなっ
た母には白いカーネーション、生きている場合は赤いカーネーションを贈るという習慣が生まれ、その後
赤いカーネーションを贈るということに統一されました。 「花屋さんに行くと、いろんな色のカーネーション
があるけど、赤じゃなくちゃだめなの?」と思ったあなたのために、カラー別カーネーションの花言葉を調
べてみました。
■赤いカーネーション…母の愛 愛を信じる
■ピンクのカーネーション…感謝、上品、気品、温かい心
■紫のカーネーション…誇り、気品
■青のカーネーション…永遠の幸福
ここまでは、特に贈っても問題なさそうな花言葉ですね。 ではNGな色ってあるんでしょうか? 実はあ
るんです。
■黄色のカーネーション…軽蔑、嫉妬
■白いカーネーション・・・尊敬、愛の拒絶
特に、白いカーネーションは、当初亡くなったお母さんのために贈るものだったことから、実際にお母さ
んに贈るのは控えたほうがよさそうです。
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