5月の活動状況
令和2年(2020)

















母の日・起源と歴史 
 アンは、1850年代に女性による社会活動をしていて、「Mother’s Day Work Club」を組織していました。 

1861年~1865年の南北戦争の最中には、敵味方関係なく南北両方の負傷兵を熱心に看護していたの

だそう。戦争終了跡も「Mother’s Friendship Day」と題して、これまで敵どうしただった者同士を結びつ

る平和活動を開催。 

 1905年にアンが亡くなると、母親を敬愛していた娘のアンナが亡き母を偲び、1907年の5月12日に、

ン(母親)が日曜学校の教師をしていたとされている教会で記念会(追悼式)を開き、白のカーネーション

捧げた事が母の日の起源とされています。 

 この時期を境に、アンナは「母の日」制定のための活動を本格化し、1914年にアメリカ連邦議会にて、

月の第2日曜日を「母の日」として正式に制定し、以後、広まっていったというわけ。

 アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡しました。 白いカーネーションが

母の日のシンボルとなり、 アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。 

れをきっかけに、全米に母に感謝する動きが広まりました。 
 1914年、当時のアメリカ大統領ウィルソンがアメリカ合衆国議会を通して、 アンナの母が亡くなったの

が5月9日(第2日曜日)だったことから、この日に定めました。 以後、母の日には、母親が元気な場合は

赤いカーネーションを、 亡くなっている場合は白いカーネーションを胸に飾るようになり、 やがてプレゼント

としてカーネーションを贈る風習へとつながっていきました。 
 
 アメリカで「母の日」が決まった後、世界各国に広まっていく事になるのですが、日本にその習慣がやっ

てきたのは、アメリカで制定されてから20年近くも後の話。 

 1937年になって、森永製菓が「母の日」についてのエピソードや告知を全国展開したのが最初と言わ

れています。日本における母の日も、本場のアメリカにならって5月第2日曜日とされました。 

 アンナにとっては、母の日は、自分の言えに帰って母親と一緒に過ごし、感謝をするための日。 商業

的な活動がイヤだった、アンナからしたら不本意だったのかもしれませんが、商業的な意味合いもありつ

つも、「年に1回は母親に感謝しよう!」という風習が出来たのも事実。 

 もし、「母の日のプレゼントはどうしよう?」と悩んでいる時には、いちど 制定したアンナの気持ちや原点

に立ち返って、「ちゃんと気持ちは伝わるか?」を軸に、商売的な風潮に惑わされずに、「何が一番ベスト

なのか?」を振り返って気持ちを表現できると良いですね。 

 
 かれこれ70年の歴史がある母の日。赤いカーネーションとともに「お母さんありがとう」というメッセージ

を贈るのが定番になっていますが、これって赤い色じゃなきゃだめなの?って思いませんか? 
 そもそもなぜカーネーションになったのかというと、母の日の発案者アンナ・ジャーヴィスが、亡き母が好

きだった白いカーネーションを母の追悼式で配ったのが始まりと言われています。 このことから、亡くなっ

た母には白いカーネーション、生きている場合は赤いカーネーションを贈るという習慣が生まれ、その後

赤いカーネーションを贈るということに統一されました。 「花屋さんに行くと、いろんな色のカーネーション

があるけど、赤じゃなくちゃだめなの?」と思ったあなたのために、カラー別カーネーションの花言葉を調

べてみました。 

贈ってもOKなカーネーションの色 

赤いカーネーション…母の愛 愛を信じる 
ピンクのカーネーション…感謝、上品、気品、温かい心 
紫のカーネーション…誇り、気品 
青のカーネーション…永遠の幸福 

 ここまでは、特に贈っても問題なさそうな花言葉ですね。 ではNGな色ってあるんでしょうか? 実はあ

るんです。 

<贈るのがNGなカーネーションの色> 

黄色のカーネーション…軽蔑、嫉妬 
■白いカーネーション・・・尊敬、愛の拒絶 

特に、白いカーネーションは、当初亡くなったお母さんのために贈るものだったことから、実際にお母さ

んに贈るのは控えたほうがよさそうです。